僕は微弱な通信波をつかまえて侵入、NTPサーバで自身の時間感覚を同期する。過去と現時刻を比較、僕の時間が現在に修正される。差分を確認、23年間が経過していた。見回す。都市はなく、文明もなく、自然があるのみだ。僕は横を歩く彼女の肩をつかんで揺する。「うわぅ」変な声を出して、彼女も現在に戻ってくる。「23年間」僕は先回りして経過時間を言う。「そんなに誤差はないみたい」「なにと比較して?」「魔術で作った砂時計と比べて」「ふぅん」そんなに興味を引かれる話題でもない。意見がなかったので僕は彼女の言葉を待つ。「で、ここはどこ? わたしたちはちゃんとわたしたち?」「確度は99パーセント」「まぁ、わたしはちゃんとわたしだってことにしてあげる」「ありがとう」なにに対してかわからないまま頭を下げる。「で、ここはどこ?」NTPサーバから時差を計算する。「かつて中国と呼ばれていた、くらいかな」「中国ねえ。五行の授業で習ったくらいしかしらないけれど、まぁ、どこかにはいるのね」「うん。そして、僕はこのあたりで僕になったんだ」「かつては動体だった君が、人間になったと場所」「あと少し」記憶なるものが動作する。思いでなるものなって、大量のコンテキストを含んだ映像として脳に展開され、視野に投影され、過去と現在が二重写しとなる。足が止まる。「ここだ」過去の映像/僕の顔をした人間が倒れている。現在の光景/僕の顔をした人間が倒れている。過去=現在。「どう思う?」僕は彼女に問う。「とりあえず、10年くらい考えてみましょうか」うなずく。僕は自身ををサスペンド/思考リソースに集中させる。彼女は半眼となる。仏性そのものとなる。思量と非思量そのものとなってゆく。