街中で瞑想が販売されていた。わたしはコンビニだと高いので、露天商売をしている僧侶から購入する。いや違う、お布施であり、マニ車を回すのだと言わなければならない。わたしは僧侶の手から形にならない、けれど確固たる存在を感じるものを受取る。形を意識するのは、執着している証拠であり、わたしはわたしの至らなさを自覚する。わたしは眼を閉じる。呼吸に意識を集中する。歩行する感覚を感覚する。誰もがそうしている。そうしたまま、誰もがそれぞれの暮らしに戻ってゆく。そうするなか、あらゆる空間に、かすかに読経が唱えられている。