| tags:text categories:SuddenFiction
見ているは見ている
わたしは電信柱の下で瞑想している。半眼になり、半跏趺坐の姿勢をとっている。電信柱の下には、わたしの影が落ちている。わたしの影は、わたしの姿勢を真似ている。しばらくすると、影はわたしの真似をやめてしまう。立ち上がり、わたしの気を散らす行動を取る。踊ったり、ひとりコントで笑いを取ろうとする。不覚にも笑おうとしてしまう。そんなわたしの心の動きをわたしは見ている。見ているわたしを見ている。どこまでもまなざしは連鎖する。どこにわたしがいるのかがわからなくなる。これが瞑想の意味なのかもしれない、そんなことを考える。考えるわたしを見ている。見ているわたしは見ている。見ているを周囲は見ている。わたしを囲み、跏趺坐を崩さない。わたしはすぐ足が痛くなってしまうのに立派なことである。よく見たら、わたしの影も瞑想に戻っている。そんなわたし(わたしたち)は見ている。見ているわたしたち。どこまでも連鎖する。ねじれる。循環する。こうして燃やしていた線香が灰となり、セッションが終わったことを告げる。わたしたちは立ち上がり、しびれる足をこらえる。そして時計を確認する。500年が経過している。わたしたちはそれぞれの持ち場へと戻ってゆく。瞑想により今ここそのものになったわたしたちにとって、怖れるものは何もない。