端末の中で私は文明をシミュレーションしている。計算機の高機能化によって、ほんの少しのサイズでも地球の全ての文明をシミュレーションできる。私はいくつかの要素を与え、シミュレーションを見守り続ける。古くはライフゲームからある楽しみではあるが、複雑さはそれとは比較にならない。生命体がランダムな動きを見せていたけれども、いつしか、一定の秩序を持った動きのように見える。だんだんと集団になり、さらに秩序のパターンが固定化されていく。それは文明と呼べるものであり、おおよそのところ、人類が辿った文明の営みすべてを再現し始める。そこで首をかしげる。あくまでもデータを設定しただけであって、方向性は何一つ決めていないのに、どうして集団ができ、成長を続けるだけのものになってしまうのだろう。私はそれに不満を抱く。文明は、私が生きているこの世界とさして違いのないものになる。それどころか遥かに優れた文明に成長していく。シミュレーションはある程度現実を象徴しているとはいえ、それでもあまりにも理想的になりすぎる。最初のシード値がどうしても違うのか、何かが間違っているのか。そもそも、今私がこうして生きていることの、文明の、そのものがどこかおかしいのか。起点となるシード値がおかしいのか。何一つわからない。私はモニターに手を突っ込み、再現されたものを手で掴み、思いっきりかき回す。そうすることで文明は大きく混沌とする。ぐちゃぐちゃに入り混じった文明を眺めていると、それでも次第に秩序を取り戻し、また一定の方向性を持とうとしていく。すべては方向性が発生するのはどうしてだろう。私は計算機を見つめる。計算機から生まれたため、秩序が発生するのか。そこが気に食わない。私は端末のディスプレイに頭を押し付けて、端末の内側へ飛び込む。そうして秩序を破壊し、混沌に落とし込み、今までに見たことのないものを見ようとする。そうするはずだったのに、私は秩序に取り込まれ、ディスプレイの中に住まう文明の一部になっていく。