神は数字だと古代ギリシャあたりの人がそう言った。気がする。が、万物は火だと流転だとかおっぱい(母系社会のうんぬんであっていやらしい意味ではない。というかわたしが同性の胸をどうこうしても仕方がない)だとか定義しているので、数字でも問題ないだろう。歴史をひもとけば、数字を神格化する教団は虚数だか無理数を発見した人間を殺害したらしい。なにひとつ変わらない。都合の悪い真理は封殺される運命も、なにもかもを数字に還元したいという意思も。さて、わたしはなにを言いたいのか。わたしは数字を信仰しているということだ。森羅万象を数字で、数式で表したいと考えている。ある種の運命論者であり決定論者を名乗りたい。そのためにわたしはソースコードを弄り倒している。時代がわたしの性癖を後押ししてくれる。AI、ビッグデータうんぬんの流行ってそうなキーワードに乗っかっているだけで仕事には困らない。わたしは自分のデスクに腰を下ろしてから6時間ほど、PCのキーボードに指を触れさせていない。動いているのは頭だけで、身体はヒマしている。誰もなにも言わない。完成するまで、意見を求められるまでは不干渉を貫く、それが職場の暗黙的な掟だ。わたしは、わたしの同僚たちはキーボードをの上を這い回る指や人を説得する口に対して給料をもらっているわけでもない。頭脳にこそ価値がある。そんなことを数式を脳裡に並べつつ考える。考える。考えていると、不意にこの世の真理に辿り着く。42。待ってこれSFネタ。もう1度考え直そう。検証しよう。結論が出る——42。わたしは珍しく、本当に珍しく、隣席の同僚に自分の考えを話したくなる。ラバーダック役にするのはやや気が引けるけれども、きっと興味深い内容であろう。同僚に話してみる。同僚が、実はわたしも同じことを考えていたんだと語る。ネットにある論文集のリンクを次々に開く。古いものでは1950年代にも同じ答えに辿り着いている。みんなみんな真理に到達している。なのに、なんで大きな変革が起こっていないのだろう。ふと思い出す。都合の悪い悪い真理は封殺される。いきなり目の前が真っ暗になる。頭蓋骨の内側をどこかから到来した直進する狙撃銃の銃弾の冷たさが全身に広がる。